『技術力』を分解する
日本の製造業の敗因に関する本を少し集中的に読んでいました。その中で気になったのが「技術力」という言葉です。
「人間力」という曖昧な言葉が嫌いな人は多いと思いますが、その割に「技術力」「科学力」という言葉はそういう方々もたまに使われているように感じています。たとえば Nature の特集を受けて、日経新聞で「日本の科学力がこの10年で失速」という記事が出ていますが、そこでは自然と科学力という単語が使われています。同様に数々の書籍で「技術力」という単語が多数使われていました。
では実際、技術力という言葉はどのような意味で用いられているのでしょうか。
たとえば、
- 「日本は技術力では負けていないがビジネスで負けた。例えば鴻海がシャープの最先端の液晶パネルに出資したのが技術力がある証拠」(大意)
という議論もあれば、
- 「企業はビジネスで勝つために技術開発をしているのであり、技術で云々は負け惜しみに過ぎない」(大西『東芝解体 電機メーカーが消える日』)
という議論もあります。
よく見てみると、こうした議論の中で『技術力』という単語が、それぞれ異なる意味で使われていて、なかなかお互いの議論が噛み合っていないことが散見されます。
なので、もうちょっと整理したほうが議論の上で便利ですよね、と思い、あまり学術的ではないですが、自分の頭の整理を兼ねて整理をしておきたいと思います。MOT 系の本で、このあたりの議論でいいのがあれば教えてください。
QCD ベースに整理してみる
一番馴染み深いのは QCD という言葉ではないでしょうか。これをベースに分解していきます。
- Quality: 品質
- Cost: コスト
- Delivery: 納期、時間
QCD は「顧客に対する価値」という観点で、使い勝手の良い整理なのかなと思います。たとえば「この要件(品質)を満たすものが欲しい」というのに応えられるのも技術が必要ですし、「すぐに欲しい」というのに応えられるのにも技術が必要です。
その他、中国に10枚基盤を発注すると、12枚ぐらい入れて送ってきたりして、「一個ぐらいミスってるかもな品質ですが、それでも大丈夫なように余分に入れておきました」というやり方も、ある意味コストを低くする技術や戦略がなせる業と言えます。
また QCDF (QCD + Flexibility) というのもあるようです。
- Flexibility: 柔軟性
確かにオンデマンドで作れる環境や、一人屋台生産方式などは柔軟性が高く、それを実現するためにも技術力が必要とは言えそうです。
さらに QCDMSE (QCD + MSE) という言葉が使われることもあります。
- Morale: モラル
- Safety: 安全性
- Environment: 環境
ここでの技術力は顧客に対する価値に加えて、プロセス面に技術力の評価対象が広がっているように思います。たとえばユニリーバが Dollar Shave Club を買ったのは環境に対する配慮とそれを実現する技術力が高かったから、というのも一因だと言われています。
これらをベースに、技術力というものを分解していきたいと思います。
QCD の分解
QCD は Wikipedia によれば以下のように分解されるようです。
1. 品質 (Quality)
- パフォーマンス
- 機能
- 信頼性
- 適合性 (Conformance)
- 耐久性
- サービス性 (Serviceability)
- 美的価値 (Aesthetics)
2. コスト (Cost)
- 素材コスト
- 人件費
- 変動費
- 固定費
3. 納期、時間 (Delivery)
- 求められた数量や納期を満たせるか(材料の調達時間や加工時間、出荷時間等)
- サービス業の場合は、取引の前工程(オーダーやキャンセルのハンドリング、訓練)、取引そのもの(サービスの可用性等)、取引の後工程(サポート等)など
それぞれが生産における「技術力」を構成する要素です。「技術力が高い」といったときに、どの要素が高いのかを整理する上で、こうした分解は重要なように思います。
たとえば、日本は汎用コンピュータ向けの DRAM で、高性能で高品質な製品を実現して、機能という面での「技術力」で一世を風靡しました。
しかしその後、汎用コンピュータからパソコンにプラットフォームが変わりつつある中で、パソコンに必要な DRAM は汎用コンピュータに比べて耐久性(寿命)が短くて良かったため、日本のDRAMメーカーはマイクロンやサムスンに破れたという分析(西村『電子立国はなぜ凋落したか』)がなされています。
この分析が正しければ、日本の各メーカーは、機能や信頼性という技術力は高かったものの、コストという技術力が低かった(さらにいえば特に変動費に対しては敏感なものの固定費に関しては気にしない傾向にあった、という分析もありました)と言えます。
これをまとめてしまうと、当時の日本企業の技術力は高かったとも言えるし、技術力は低くかったとも言える、という結論になります。
このように、「技術力が高い」という議論をする前に、色々分解して軸を決めてみないと議論しにくいように思います。
その他の『技術力』
「技術力が高い」といったときに用いられる言葉を整理しておきます。
匠の技術 ←→ 規格化/標準化技術
どちらも技術力の文脈で出てくる言葉のようで、どちらも技術力といえるとは思います。
なお、木村『ものつくり敗戦』では、その副題に「匠の呪縛」とついているように、
- 日本は匠の技(技能寄り?)という労働集約型の技術や暗黙知に拘泥する
- 製造業全盛期は人口増によって、その労働集約型でもなんとかなった
などが指摘されています。
擦り合わせ←→ 組み合わせ
摺り合わせによって統合していく技術と、規格化された部品を組み合わせていくものはよく対比させられます。そして両方共技術力として参照されるように思います。
日本の製造業の強さは擦り合わせにあると言われますが、一方でコスト高になる要因とも言われています。
フェーズ別(基礎技術←→応用技術)
Carlota Perez のような整理をすることで、インストール時期の技術開発力と、デプロイメント時期の技術開発力(応用力)の、二種類の技術力があり、どちらも技術力と言えそうです。
特にデプロイメント時期の技術では、顧客のデマンドをいかに反映できるか、早く反映できるかが主な技術力と言えます。
NSF の分け方
アメリカ国立科学財団 (NSF) では、Three-level strategic planning diagram に従って技術戦略が立てられていると言われています。それぞれ下から、
- 知識基盤 (Knowledge Base/ Fundamental Knowledge)
- 技術基盤 (Technology Base / Enabling Technologies)
- 技術統合 (Technology Integration / Systems)
となっており、これらのどこに位置付けられる技術かを把握する必要があると言われています。これらのどこの技術かによって、「技術力」もおそらく異なってくるはずです。
調達/時間
QCD の D の部分ですが、ここはもう少し深掘りできるかもしれないと思っていて、
- 販売チャネル
- (大量)生産力
- 資金調達力
- 意思決定力
などにも分解できるかもしれません。
かつてのパナソニックはソニーのような企業が開発した先進的なものを真似て、大量生産の力と販売網で一気に広げる力を持っていました。顧客に価値を届けるまでの時間を短縮できるのも、ある種の技術力と言えそうです(IT だとこのあたりも DevOps や継続的デリバリなどの文脈で『技術力である』というのは分かりやすそうです)。
また泉田『日本の電気産業』で挙げられるエピソードとして、サムスンのNANDフラッシュメモリ事業において、技術力は日本と同等か若干劣っていたものの、製造規模を拡大できる資金調達力に長けており、不況時に大規模な投資を実行できる意思決定の速さが強みで追いついた、というものがあります。ここにおいては資金調達力がそのままビジネス面での差になってきています。
この資金調達力まで来ると流石に「技術力」の議論を広げすぎですが、とはいえこういう議論もあったので紹介しておきます。
組織
外資系企業による日系メーカーからの人材の引き抜きが激しいことはよくニュースになりますが、そうした技術者の人材調達や維持についても技術力を維持していくためには必要です。
一方、経営側の問題だけで留めておくのも問題です。木村『ものつくり敗戦』の中では、第二次世界大戦で「技術者が軍部に迎合して、技術的に駄目な開発プロジェクトを進めて敗戦したのに、そこで反抗しなかった技術者の戦争責任はあまり問われていない」(大意)といったことが書かれており、そうした組織に対して技術者の責任もあるように思います。
現代においても経営層の指示に迎合した上で「経営が下手」と後から文句を言うのではなく、CTO や技術者が技術的になすべきことを経営層に伝える、というのもある種の技術力に関わってくる、という議論も(広げ過ぎな気もしますが)必要かもしれません。
顧客の要望 ←→ 技術の改善(問題発見←→問題解決)
QCD でもそうでしたが、顧客の要求を発見してうまく満たすための技術力もあれば、効率的な生産や開発プロセスのような問題解決の技術を改善する技術力もある、という風に考えられます。
こうして考えてみれば、今の手持ちの技術で、顧客に最も大きな価値を提供できる課題を見つける、というのも一つの技術力といえるかもしれません。デザイン力や設計力といったほうが良いかもしれませんが…。
もちろん研究の世界では同じ学会の仲間同士が認めれば、「あの研究室は技術力が高い」と言えるでしょうし、おそらく最先端の技術の評価は同じレベルの人たちしかできないように思うので、ピュアな技術の改善の技術力という文脈では顧客がいないケースもあるかなと思います。
まとめ
技術力の議論をするときには、QCD などをベースに言葉を分解して考えた上で、
- 技術の観点と、顧客の要望の観点
- 技術の観点と、経営の観点
あたりをちゃんと整理した上で考えたほうが良いのかなと思います。
そうでないと、「個人/弊社/日本には技術力がある」と言うときの議論がうまく運びませんし、自分たちの『技術力』に変な自信を持ってしまって『別種の技術力』で再び負けてしまうかもしれません。そうしたこともあって、今回このような整理をしてみました。
もちろん今回の記事は、「技術力が高い」「我が◯◯の科学力は世界一ィィィイイイイ」と言ったときには、どのようなポイントで世界一なのか、というあたりはもっと分解されて考えるという当然の話でしかないのですが、どうも「◯◯力」というと実体があるような気がしてしまうので注意が必要ですね。
補足エピソード
たとえば NEC と日立の DRAM 部門が統合して作られたエルピーダメモリのエピソードで、本当かどうかは分かりませんが面白かったのが以下です。
ある会議の中で、「技術開発」という言葉が出てきた。ところが、日立と NECの議論がまるで噛み合わない。次第に激しい言い争いになったのだが、結局は、お互いの「技術開発」に対する解釈が異なることに原因があることが判明した。
日立で「技術開発」と言ったら、それは新材料か新構造を検討し、新装置を開発することを意味する。一段落ちるが、新プロセスの開発でも、まあその範疇に入れてもよい。
ところが、NECでは、クリーンルームで、試作ロットが流されるとき、たとえばエッチング技術者ならば、自分の担当工程にロットが仕掛った際に、数枚(もしかしたらNECでは数十枚)のウエハを浸かって実験を行い、最適条件を決めて、試作ロットに適用する。このような、半導体技術者がいうところの「条件出し」を、NECでは「技術開発」と呼ぶんでいたのである。(湯之上『日本型モノづくりの敗北』p.75–76)
「あの国/企業には技術力がある」というのを一言で表すのは難しいな、と思ったエピソードでした。
補足2:科学力に関して
科学力に関しては、ある意味引用数という分かりやすい指標がある点で、技術力とは異なるかもしれません。たとえば OECD の 2015 年のレポートや経産省のレポートにおいては、科学技術界における存在感の低下が論文の引用数ベースで指摘されています。
一方、最近『情報と秩序』が翻訳されたヒダルゴらの経済複雑性指標(世界に通用するオリジナリティーのある製品をどれだけたくさん抱えているか)では、日本は 15 年連続 1 位だそうです。