論理的思考、デザイン思考、そしてスタートアップ思考の時代へ

新書『逆説のスタートアップ思考』が明日 3/8 に Amazon 他の書店で発売されます。この記事はその書籍を読む前後に読んでもらえると、本の内容の見通しがよくなるのではないかと思います。

さて、タイトルの中にある「スタートアップ思考」は、Peter Thiel の Zero to One 第一章『僕たちは未来を創ることができるか』の最後の見出しから取ってきたものです。

ここで言うスタートアップ思考とは一体何なのでしょうか。私の現在の理解の範囲では、「自分の頭で考える」「自分の意志を持つ」「自分で決める」ということで、まとめてしまえば非常に凡庸なものかな、と思っています。

ただこれは、スタートアップ的な考え方を持つ創業者や投資家が、起業家志望の相談に乗っているときに

  • 「で、君だけのユニークな洞察は何?」
  • 「で、君はどうしたいの?」

といった、個人の意志や考えを確認してくることが多いことに符合しているようにも思えます。

実際 Peter Thiel は「スタートアップ思考」という見出しの項の中で、この本は「考える訓練だ」と書いています。そして、「それがスタートアップに必要なことだから」とも。

本書は、これまでにないビジネスを成功させるために自らに問うべきこと、答えるべきことを提示するものだ。ここに書いたことは、マニュアルでもなければ、知識の羅列でもない、考える訓練だなぜなら、それがスタートアップに必要なことだから。

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では改めて、スタートアップ思考とは何でしょうか。何かを理解しようとするときには、似たものを比較してみることが有効な場合があります。そこで今回は90年代後半からこの約 20 年の間にビジネス書の中で注目を浴びた代表的な「ビジネスにおける問題解決のための思考法」である、

  1. 論理的思考
  2. デザイン思考
  3. スタートアップ的な思考(スタートアップ思考)

の3つを比較して、スタートアップ的な思考法について考えたいと思います。

90 年代後半には、元コンサルの人たちを中心に、日本では論理的思考法のメソッドが流行しました。クリティカルシンキングの方法論をベースとしつつ、ピラミッド原則やロジックツリー、MECE、So What / Why So などのフレームワークやメソッドを紹介する書籍が売れていた記憶があります。

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バーバラ・ミント「考える技術・書く技術」より

しかし論理は思考の飛躍を許すようなものではなく、論理力は思考力ではないので新しい解決策を生むことは苦手、という指摘があります。

それもそのはずで、論理は客観的に物事進めていく「三人称的なもの」です。論理に飛躍があっては、その帰結について誰かと共有することはできません。論理的思考はデータの分析や経営管理、問題の整理と実行への落とし込み、そして自分の考えをきちんと伝えるという面で効力を発揮しますが、ビジネスの新しい発想を論理的思考に求めるのは少し違うのかなと言えます。(もちろん新しい発想が実行可能かどうかを詰めるときには大変有効です)

2004 年に Stanford に d.school ができて、さらに IDEO の手法が 2008 年前後を境にビジネス界隈で注目されだしたとき、デザイン思考が注目されるようになりました。その背景には、新しい製品や新事業を作ること、そして創造性が重要視されはじめたことがあります。

デザイン思考が紹介される文脈では多数のフレームワークやメソッドが注目されがちですが、抽象度を上げて考えてみれば、人間や体験を中心としながら、エスノグラフィなどの手法を活用した他人の観察と「共感」による洞察の発見と、作りながら考えるという「プロトタイピング」の繰り返しによる探索、インタビューを通した検証など、デザイナーの考え方や手法、そしてマインドセットをビジネス領域に取り入れて、新しい製品や事業を作り出そうとするというもの、とまとめられるように思います。これは同時代に出てきたリーンスタートアップにも類似しているように見えます。

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共感、問題定義、アイデア、プロトタイプ、テスト、という有名な 5 つのプロセス from http://blog.rwth-aachen.de/designthinking/2016/01/08/what-is-design-thinking/

しかし受託が主である IDEO がデザイン思考的なものの起源だからかは分かりませんが、デザイン思考を使って取り組む課題は「あなた」(顧客)の課題であり、誰かの課題をいかに早く綺麗に解くかになりがちな印象があります。そこには「自分の意志」よりも「相手の課題」を重視する視座があります。

(もちろん、そのほうが多くのビジネスにおいては正しいと思いますし、与えられた課題であっても「その裏に潜む本当の課題は何か」といった問いと格闘することもあります。また自分は世界をこうしたいからデザイン思考を使う、と強い思いを持つケースもあるとは思います。)

そうした意味で、デザイン思考的な考え方は、相手や顧客といった「あなた」に共感して入り込む「二人称的なもの」であると整理できるように思います。

ではスタートアップ思考とは何かといえば、端的に言えば「一人称的なもの」であり、特に「自らの意志」と「急激なスケールを志向する」ことと整理できるのかなと思います。たとえば、その考え方として、

  • 自分の想像する未来の仮説に賭けること
  • 誰もが見落としている、一見不合理で狂ったアイデアに賭けること
  • 他人が見ていない場所を見ようとすること
  • まだ築かれていない、価値ある企業とは何かを考えること

などがあります。つまり「君はどうしたいのか」「君だけの洞察は何か」という、自分だけの問題を突き詰めようとする思考です。

Peter Thiel の言う「誰もが信じていない自分だけの大切な真実」を見つけて、誰もが見落としているからこそ、それが正しければ短期間に一気にスケールできます。こうした「自分で考えること」の重視が、スタートアップ的な考え方ではないでしょうか。

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Paul Graham の「ハッカーと画家」。オビには「普通のやつらの上を行け」

もちろん、論理的思考やデザイン思考において、自分で考えるということをしないというわけではりません。デザイン思考でも Creative Confidence のように、自分に自信を持つということも重視はされます。Joi Ito が「脱専門性」の中で引用している Atypical Combinations and Scientific Impact なども良い「自分で考える」ことの重要性を指摘する例とも言えそうです。

しかし、こうした世界を作りたいんだと「自分の意志を持ち」、誰もが信じていないものを「自分で考えて」、そして仲間を選んで、数少ないチームでもそれをやるんだと「自分で決める」ことは、スタートアップでこそ色濃く出る考え方ではないかと思います。

三つの思考法を組み合わせるスキル

まとめると、

  • 論理的思考は三人称
  • デザイン思考は二人称
  • スタートアップ的な思考は一人称

の色合いが強い、という整理になります。そうすると、それぞれの三つの思考法の補完関係が見えてきます。

つまり今、新しくスケールする事業を作ろうとしたときには、論理的思考、デザイン思考、そしてスタートアップ的な思考の三つの組み合わせが重視される時代になってきているのではないか、ということです。

特に最近、「爆発的に成長するような第二、第三の新規事業を作りたい」という相談をよく受けます。そんなときには、スタートアップ的に自分だけの秘密や自分の意志から出発しつつ、デザイン思考を使って顧客のニーズを汲み取って製品や機能を作り、ときには論理的思考を使って分析し、論理で誰かに伝えながら着実に実行していく地道な作業の繰り返しこそが、スタートアップ的なスケールをするために必要な考え方ではないでしょうか。

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かつてビジネススクールが流行り、そしてデザインスクールが流行りました。そして今やアクセラレーターは新しいビジネススクールだと言われます。

これまで論理的思考やデザイン思考が受容され、多くの人がそのスキルを身に着けてきていることを考えると、今はまだ多くの人に足りていなくて、これからの時代に求められるのは、自分だけの真実を見つけるための「自分で考える」スタートアップ的な思考法ではないかと思います。

そして『誰のためのデザイン?』などを書いた Don Norman が現在のデザイン思考の受容の状況を批判して、「Design Thinking ではなく Design Doing を始めるとき」と言っている背景には、第一人称的なスタートアップ的な考え方と、自らが行うという行動の仕方の重要性が高まっていることの現れのように感じています。

またリクルート出身者のスタートアップが多いのは、リクルートの『圧倒的な当事者意識』がここでいう一人称的な考え方として彼らに染み付いているから、なのかもしれません。

「逆説」と「逆張り」の意味

ただ注意するべきなのは、大勢の考えにあえて逆らって逆張りをすることで孤独な考えに至る、のではなく、自分の頭で考えた結果、逆張りになる、ということなのかなと思っています。

たとえば「『自分は天邪鬼だから』、周りと違う意見を言う」といった人がいますが、それは他人の意見の逆を行くという理路を経ているため、他人の意見がなければ自分の意見が存在しえない脆さを含みます。そうではなく、「自分で考えた結果、異なる結論に辿り着くから、周りからは天邪鬼のように見える」というのが健全なあり方ではないか、ということです。

これを Peter Thiel は以下のように端的に表現しています。

何よりの逆張りは、大勢の意見に反対することではなく、自分の頭で考えることだ。(Peter Thiel)

新書のタイトルには、スタートアップ思考の枕詞に「逆説の」とつけてはいますが、それは「逆説的に考えなければいけない」のではなく、「結果的に逆説的な考えを導く」という意味で伝わればいいなと思います。決して、他人の考えの逆を行くこと自体が目的にするのではなく、自分だけの秘密を自分で考えたり気付くことのほうに注目が集まればいいなと。

自分で考えるということ

しかし一方で難しいのは、逆説的に考える、という方法を意識的に知らなければ、人は普通の考えに寄ってしまいがちだという点です。

「自分で考える」ということは、すべてをゼロから考えることではなく、これもまた逆説的ではありますが、「誰かの考え方をうまく学びながら、自分の独自の考え方に至ること」ではないかと思います。

自分ひとりだけで、そして手ぶらで何かを考えることがイコール、自分で考えることなのではありません。思考の道具がなければろくに考えられませんし、正しい考えに辿り着くのではなく、仮説検証のない自己中心的な考えに至ってしまうだけです。バフェットやビル・ゲイツをはじめとした有識者が読書に時間をあてて、他人の考え方を貪欲に吸収しているのも、そうした背景からではないかと思います。

だから「どうやって自分で考えるか」を「他人に教えてもらう」というのは矛盾しているように思えますが、実はそれもまた必要な過程だといえます。

そのため、今回新書では「自分で考える」ための補助線となるような「他人の考え方」を、主に Paul Graham や Peter Thiel の発言を中心にまとめたつもりです。

彼らの考え方は、「最終的には自分で考えるんだよ」と一線を引きつつも、少しずつ視点を一般からずらすヒントを提供してくれます。そして執拗に「自分たちも答えは知らない」「トレンドに乗るな」「自分で考えろ」「考えるのではなく気付け」と問い続け、突き放し続けてくれることで、気づけば自分独自の視点へと誘ってくれるように思います。こうした態度は、この二人が大学時代に哲学を修めていたことにも起因するのかもしれません。

(追記)こうした考え方、 David Foster Wallace の言う、リベラルアーツ教育の価値である「自分の頭で考えること」に通じるものがあるようにも思います。

もう少し謙虚になること、自分の存在や確信していることを見つめ直すことこそが、「自分の頭で考えること」の意味するところではないでしょうか。今までぼくが根拠もなく自動的に正しいと信じてきたことは、大方間違っていました。

自分で決めるということ

そしてスタートアップの文脈での「自分で考える」という言葉には、自分で考えた上で「自分で決める」という要素を色濃く含んでいます。

なぜなら、自分しか知らないような大切な真実を信じるためには、大勢の流れに逆らって動く必要があるからです。世の中の9割以上の人が反対するような意見を信じると決めるのは恐ろしいことです。ここには「決める」という意識的な動作や意志が必要です。地動説を唱えたガリレオが「それでも地球は回っている」という逸話の態度のように、あるいはもう少し軽めに言えば、根本敬の「でもやるんだよ」という言葉のように、潔く決めるというプロセスがどうしても入ります。

そして大勢の意見と異なる考えを持ち、製品やサービスを発信するということは、異なる意見を持つ大勢との摩擦を不可避的に生み、それを嫌う人(ヘイター)が出てきます。ときにはそういう人たちを説得し、ときには戦い、ときには無視する必要があります。それはつまり、正しく孤独であることを自分で決める、ということです。

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Y Combinator の Stanford でのレクチャーより: http://startupclass.samaltman.com/courses/lec20/

不完全な情報と不確実な状況下で決定を下し、その責任を持つというのは他の思考法にはなかなか出てこない考え方です。であればなおさら、この主体的に意志を持って決めるというのは、スタートアップ的な考え方ではないでしょうか。

そうした意味を込めて、他の思考法と比較した上で、最初に「自分の頭で考える」「自分の意志を持つ」「自分で決める」というものが、スタートアップ思考ではないかと最初にまとめた次第です。

「方法」ではなく「思考」であること

なお、論理的思考やデザイン思考の両方に起こった悲劇として、そこで紹介されるフレームワークやメソッドといったような「具体的な手法」が過度に注目されるということがありました。

その結果、たとえば MECE を使えば良いとか、ポストイットを使えば良いとか、ブレインストーミングをすれば良いとか、How might we を使えば良いとか、ワークショップをすれば良いとか、そうした安易な方法論に飛びつく人が多いのも事実です。もちろん、そうしたメソッドは創造性を引き出すことには役立つかも知れません。ただ思考や創造性はすぐに身につくものではなく、デザイン思考がここまで隆盛したにも関わらず素晴らしい製品がそれほど多く出てきていないことを考えれば、何か欠けているピースがあるはずで、その一つの候補がスタートアップ的な考え方ではないかと思っています。

今回スタートアップ思考として紹介している考え方は、世の中に流通しやすいメソッドやプロセスの類ではありません。「私はどう思うのか」「私の考えは何なのか」「私しか気付いていないことは何か」「私だけが信じる未来の仮説とはどういったものか」と執拗に自己へ問いかける手伝いをするための問いばかりです。有効な応用領域も狭いと思います。そのため広まりやすいとは思っていません。

しかし、本来そうした思考や問いこそが重要であるならば、スタートアップに必要な「自分の頭で考える」「自分の意志を持つ」「自分で決める」こと、その結果の責任を引き受けること、そして「正しく孤独であれ」というメッセージは、現代の過剰な繋がりの中にいる我々、そして周囲に流されがちで集団主義的で、集団思考の罠にハマりがちな現代の日本だからこそ、新たな思考の補助線を与えてくれるようなもののように思っています。

そうしたスタートアップ的な考え方、その一つの捉え方として、今回の新書を手にとってもらって、フィードバックがもらえればいいなと思っています。

もちろんこれは私の仮説や思いでしかありません。しかし、何人かに今回の本が届き、何かを考えるきっかけになってくれれば非常に嬉しいです。

なお、本書の最後には「読み終わったらこの本は捨てて下さい」と書いています。ウィトゲンシュタインのハシゴ的ではありますが、本当に「自分で考える」ためにはきっと必要ではないかと思います。

(追記)なお、このスタートアップ的な考え方を自分のキャリアに応用してみると以下のようになるのかなと思っています。新書の最終章の内容にほぼ相似ですが、こちらもご参考まで。

(追記)2018 年からメルマガを始めてみました。

Written by

The University of Tokyo, Ex-Microsoft, Visual Studio; “Nur das Leben ist glücklich, welches auf die Annehmlichkeiten der Welt verzichten kann.” — Wittgenstein

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