昼休みに TeamLab の企画展@日本科学未来館に行ってきました。11/29–3/1 まで。

http://odoru.team-lab.net/

Kinect 2 がいっぱい使われてる、という点以外でも中々お勧めです。というのも、メディアアート展示が多いので美術館と違って音が流れてますし、子供向けということもあり基本子供たちが楽しそうに騒いでるので、人と話しながら見て回るという行為が自然にできて良いなぁと。話ができると議論できますし、議論できれば理解が深まります。私は自慢じゃないですが非リア充なんで一人で行って結局喋りませんでしたけど、誰かと来ていろいろ話しながら見て回るのは楽しそうです。

大きくアート展と遊園地があって、アート展に入ってまず驚くのは、子供たちが床を転がってることですねー。床に対するプロジェクションマッピングが、子供たちに対して、転がりたがらせるような何かをアフォードする、というのは面白いです。まあ床のあの若干の柔らかさがあってこそのものかもしれません。でもほんと動きがあるものに対する子供たちの興味関心の高さというのは凄いですね。自然状態の人間としてあるべき姿というものを感じさせてくれます。

あと三段構えのこの奥行き大画面プロジェクションマッピングはかなりアリ。一面の大画面は割と飽きてきた感じがしますが、複数面を用いての奥行の表現が、これほど豊饒な体験をもたらしてくれるとは。そもそもアニメーション自体が動きの快楽を与えてくれて、そういう意味でテレビアニメの規律的な連続した動きは、映画とは異なる純粋たる快楽の源泉であると思うのですが、そのアニメが今回の三層展示で提供してくれる周辺視野での立体的な蠢きは、いちいち我々の焦点をぼかしてきて、その結果我々の視野や見ているものの不確実性を純化した形で示してくれます。それはいわば認識方法を揺るがす形での表現で、それを動きを使ってうまく表現しているんじゃないかと思うわけです。特に Oculus 等で滑らかに奥行きを表現するのではなく、あえての三層のみにして突然前に出てくる感覚は思ったよりもいいですね。折角なら天井からも映し出して三次元にすれば良かったのになぁと。でもそれだと後述する意味での日本画的平面空間から離れてしまうので、展示の意図とは異なるということなのかもしれません。

遊園地側については、私の最近の課題である「触りたくなるような」デザインに近寄せて考えてしまってるかもしれませんが、全体的に身体性、というか動き全般に気を配られている印象でした。触る、というのは、大人があまりしない行為でありますが(私は最早苦手ともいえる領域)、ただ何も考えずに触れる、というのは親和性のあらわれであります。それは Apple ストアで MacBook の画面があえて見づらいように傾けられている、というのは触ってもらって角度を直してもらうためで、そこで行われる触るという動作を誘発するため、という話を聞いたことがありますし、Tinder の UX も、あれ触ってて楽しいんですよね。

そうした触ることを発生させるようなデザインの方法としてのインタラクション性を考えていくと、次第にモーションデザインを考え始め、そして必然的に意識せざるを得ない身体性と空間性、ひいては時間というものに改めてスポットライトを与えてくれます。あるいは、触ること、触ったら何かが動くこと、誰かが何かを動かすこと(そしてよくよく忘れがちである排他律的な二つのものが同時に同じ場所を確保できないということ)、それによる誰か他人の存在への意識であったり。何かを触ろうとすること、何かに触れるで同時に触られること、そのあたりの Merleau-Ponty の議論は改めて読むと色々引き出せるかもしれないなと。

そして展示に通底するのが超主観空間の議論 (昔の日本人は日本画のように世界が見えていた、的な話。詳細は http://odoru.team-lab.net/message/unotsunehiro.html に詳しい) 。これは70年代的な懐古を感じさせる議論ですが、空間を空間のみとして理解していないというのはその通りで、少なからず論理や我々の有する理論が認識に与える影響は(廣松を参照せずとも)我々の実感としてある部分なので、その恣意性を明るみに出そうとする取り組みは方向性として面白いなと。彼らはそれを論理構造と呼び、論理構造そのものを超主観空間と呼ぶのなら、それを表現する試みは認識そのものを表現しようとする試みに他なりません。それに、日本画のメディアが巻物や屏風画などであるがゆえの「折る」「分割する」という不可避的なモーションから発生する、西洋画との芸術作品の違い、という点は確かに注目に足る差異かと思いました。

でもその方法として、立体的なオブジェクトを作ってそれを日本画的な平面空間に映し出す、という手法を採用するのはちょっと短絡的すぎるような気もします。もちろん、日本画的平面空間の論理、というフィルタを通して表現するという技法を使っているわけですが、それでもやってることって結局 3D オブジェクトをディスプレイに映してるだけ、とも言えるわけで、そんな単純でいいのかなぁと。あと登場人物になりきる(見る主体と見られる客体がいたときに、客体に)、という議論が不明、というか、そもそも「なりきる」と言った時点で、その主体と客体の明瞭な分割を前提とされていて、「協会の曖昧さ」の結論を導こうとする議論として微妙なんじゃという気がします。二項対立させてから一元論で回収するのってずるいです。

とりあえず 1 ~ 4 歳ぐらいの子供たちが楽しそうなので、その楽しそうな雰囲気に評価が高くならざるを得ないという点では、良い意味でずるい企画展だと思います。美術館もこれぐらいうるさくてもいいのになぁと。

あとどうでもいいですが、折るのと祈るは文字が似てて、「日本画は祈りを前提に…」とか見えてしまっていい感じでした。

Written by

The University of Tokyo, Ex-Microsoft, Visual Studio; “Nur das Leben ist glücklich, welches auf die Annehmlichkeiten der Welt verzichten kann.” — Wittgenstein

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