少年よ、大志を貰え

Taka Umada
10 min readDec 26, 2019

クラーク博士は「少年よ、大志を抱け (Boys be ambitious!)」と言ったそうです

ではなぜ ambition (大志/野心) は大事なのでしょうか。その理由の一つとして、成功するかどうかは野心で決まる、という面があるからです。

クラーク博士像 / Photo via Good Free Photos

野心 (ambition) とパフォーマンスによって成功が決まる、ということをネットワーク科学者のバラバシらは主張しています。

彼らは研究のサーベイの結果、子どもたちが卒業10年後の年収を決める重要な要素を見つけました。その要素とは野心です。

その研究によれば、たとえ合格しなかったにしろ、その学生が出願した最難関大学が、その後の成功(年収)を決める要素だったそうです。そこでバラバシたちはこう結論付けます。

あなたの子どもの成功を決めるのは、「パフォーマンス」と「野心」 — — 自分がどこに属していると自分で思うか — — なのだ。(ザ・フォーミュラ

ほかの研究を見てみても、野心がキャリアの成功と相関があること、野心と似たような概念である達成動機 (need for achievement) が起業家になるかどうかに影響があることは指摘されます。

野心を持つこと、それが成功につながり、起業にもつながるのであれば、どのように野心を育んでもらえば良いのでしょうか。そもそも、私たちは野心を育てることはできるのでしょうか。

野心的であること、野心の方向付け

私の野心の一つは、優れたアントレプレナーシップ教育の方法を見つけ、それを可能な限り広めて、より多くの優れた起業家を輩出していくことです。それを通して、すべての人にゆとりを作りたいと思っています。

それを実現するには、学生の皆さんのアントレプレナーの能力を高めると同時に、「どのように彼ら彼女らに野心を持ってもらうか」を考えなければならないことに気づきました。

もちろん、野心だけ高めてしまい彼らのパフォーマンスの向上に貢献できなければ、俗に言う『意識は高いが何もできない』人たちを育ててしまうだけです。それは避けたいと思っています。しかし、もし効果的な教育を行うことに成功したとして、彼らのパフォーマンスを高めることはできたとしても、そのときに適切な野心を持ってもらえなければ、社会的に意味のある大きな挑戦をしてもらうことはできません。

だからアントレプレナーシップ教育を進めるうえで、野心を持ってもらう術を見つけることはとても重要な課題です。

しかし研究を見てみても、野心はパーソナリティに近いものとして捉えられているようです。そうなると、パーソナリティに影響が大きい幼少時の教育が大事である、ということになり、大学教育でやるには遅い、ということになるかもしれません(そしてそれはある面では確かに真実でしょう — — 個人的には小中高などにアントレ教育を拡大してほしいと思っています)。

ただ一方で、起業家の話を聞いていると、大学に入る前では起業に全く興味がなかった、という話をしばしば聞きます。

だからおそらく「野心的であること」はパーソナリティによるのかもしれませんが、それと「起業という方向に野心を持つこと」は別問題なのでしょう。野心的であろうとする個性は確かに幼少期のほうが育みやすいかもしれません。でもその野心の方向性を、起業や研究に向けようと決めるタイミングは少し年齢が経ってからでも遅くないのだと思います。だとすれば、大学教育や社会人教育を担当する私たちにできることはまだありそうです。

野心を持つタイミング

では起業家はいつどの時点で起業に対する野心を持ち始めたのでしょうか。

そんなことを考え始めたとき、ほかの領域の事例が目に留まりました。それが研究です。

学部生にも関わらず、トップレベルの国際会議に論文を出そうとしている野心的なグループの話を聞きました。まだま若い彼らにとっては縁遠いはずのトップの国際会議、そこになぜ出そうと思ったのか、その理由を聞いてみると「先生から言われて」出してみたそうです。

似たような話はコンテストでも聞きました。野心的なグループは周りから「このレベルならコンテストで勝てるんじゃないか」と言われて挑戦してみる気になった、という人が多くいたのです。海外大学への留学も同じような話を聞きます。

彼らは他人からの言葉で、自分の野心を持つようになっていったようです。

そしてこうした話を聞いているうちに、私はこのアドバイスが Y Combinator の Paul Graham や Sam Altman が与える、スタートアップへのアドバイスと同一であると気づきました。

彼らのエッセイの中ではしばしば、スタートアップへのアドバイスとして、「もし成功したのなら、どれだけ大きなビジネスになるかを考えろ」という言葉を何度も投げかけているようです(例1, 2)。そうして彼らはプログラムの中で、走り始めた起業家に野心を持つことを勧め、そうして彼らの野心に方向づけをしてあげています。

実際、様々なエッセイで、彼らは野心について何度も触れています。

時間のおよそ一割は、緊急の問題ではなく、企業の大きなビジョンについて話す。これに縛られる必要はないが、そんな時間を持つのは良いことだ。ベンチャーの一部は大きなビジョンを持つに至っているが、大部分は持っていない。大企業に対し今ベンチャーが何をすべきか、どんな方策があるかを考えることにある程度の時間を費やすことは、たとえ今の目標がそうでなくても、良い訓練になる。起業家が大きなビジョンを思いつけるよう手伝うのは、私たちの強みの一つだ。というのも、私たちはベンチャーのアイデア空間の多くを探索しており、それぞれの山の向こう側に何があるか知ってるからだ(ポール・グレアム「Y Combinatorの活動」(2/5)

そして創業者にとって重要な「決断力」の一つの要素は、野心だとも。

決断力の別の主要な要素は野心だ。頑固さと自制心が目的地に達することなら、野心は目的地をどう選ぶかだ。(ポール・グレアム「決断力の解剖学」

そして彼らが見ているものは、(野心的になれば)「どれだけ大きくなるか」というもののようです。

初期のスタートアップについて尋ねる質問は、「この会社は世界をリードするようになりますか?」ではなく、「創業者が正しいことをしたら、どのくらい大きな会社に成長しますか?」です。(スケールしないことをしよう

私の周りの起業家の話を聞いてみると、初期から投資してくれたエンジェル投資家から「もっと大きな可能性を考えたらどうか」ということを頻繁に問われていた、という話を聞きます。そうして彼らは野心の方向性を徐々に変えられていったのかもしれません。私自身の野心も、他人の言葉のちょっとしたきっかけが元になっていたような記憶があります。

「野心溢れる人」などと言われます。その言葉からして、野心というものはまるでふつふつと自らの内側から溢れてくるもののように思えます。でも実は野心というものは、外からの気づきという種が与えられ、それが次第に大きくなっていくようなものなのかもしれません。

だとすると、野心を他人からもらうことは決して恥ずかしいことではないのでしょう。結局それを育てていくのは自分自身なのですから、なおさらです。

そしてもしそうであれば、他人の野心を育てるために、私たちにできることはありそうです。

十分な能力を持つ人がいるのなら、野心を持つよう勧めてあげること、できれば大きな野心を持つように勧めることです。もちろん世界は徐々に良くなっているものの、気候危機や貧困問題、食糧問題など、世界にはまだたくさんの大きな課題があります。それを解決しようと思う健全な野心を持つことを勧める人が増えれば、きっとよりよくなるはずです。

一方で「若い人が野心を持っていない」と嘆くのだとしたら、その原因は、私たちが彼らに対して健全で大きな野心の種や夢を十分に蒔くことができていないから、とも言えるかもしれません。

野心を持つことを勧め、助ける

Paul Graham は先ほどのエッセイこのように続けます。

また業績をあげれば、一般的に野心は大きくなる。各段階で、さらに成長する信用を得る。(決断力の解剖学

もしそうなら、本当に大きな野心を持ってもらうためには、業績を上げてもらう手助けをすることも必要です。野心が種であれば、育てるための水は着実な業績な進捗だと言えます。

確かに研究の高みを知る教授や、ビジネスの高みを知るエンジェル投資家のような人は、野心を持たせてくれるだけではなく、そこへの辿り着き方のヒントも教えてくれます。

Paul Graham が語るように、野心とは目的地の選び方です。

起業家は少し事業が先に進むと景色が変わると言われています。山を登れば見晴らしがよくなるのと同じです。

しかし見晴らしがよくなったあと、どの方向の景色を見るかは人によって異なります。低い山を見る人もいれば、より高い山を見上げる人もいるでしょう。そんなとき、もっと上や未知の領域を見てみようと、予期しない言葉を与えてくれるのは他人だからできることです。

そんな風に考えると、どの景色を見たほうが良いかを教えてくれる人がいること、そしてそこへの行き方をサポートしてくれる人がいること、それが適切な野心を持つためのやり方のように思います。

だとすると、今はまだ野心がないことを恥ずかしがる必要はないのでしょう。それはまだ進捗がないか、もしくは周りにそのような人がいないだけなのかもしれません。そしてもし野心を持ちたいのであれば、そんな大志や野心を貰えるような人の周りにいるところから始めてみるのもひとつのやり方です(たとえば野心的なスタートアップに入社するなど)。

野心を保つ

都市と野心」というエッセイの中で、Paul Graham は、それぞれの都市にそれぞれの異なる「野心を持て」というメッセージが存在することを指摘しています。

  • ボストンのケンブリッジは「知的な野心を持て」
  • シリコンバレーは「もっと影響力を持て」
  • ニューヨークは「もっと金持ちになれ」
  • パリは「自分のスタイルを持て」

ここでの都市とは結局、そこに住む人々のことです。

であれば、良い人になりたいのであれば、良い野心を持つ人の周りにいることが大切になってきます。

Sam Altman が言うように、大きな野心であればあるほどそれを引きずり落そうとする引力が働くものです。野心的であればあるほど、馬鹿にされることは増えるでしょう。だからこそ、その野心を守ってくれるような人たちを周りに置くことが、野心を保つために必要なことでしょう。Sam も「あなたの野心を支援してくれる前向きな人たちと、時間を共に過ごすことを忘れないでください」と書いています。

野心の種を与えて貰い、「言われてみれば、確かにそこまで辿り着けるかもしれない」と思わせてくれるようなアドバイスをくれる人の近くにいることが、きっと自分の野心を大きくすることを助けてくれます。

であれば可能な限り、自分もそのような人間になれればよいなと思った年末でした。

そしてもし読者の皆さんが野心を持ったきっかけを覚えているのなら、ぜひ Twitter などで教えてくれると嬉しいです。

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Taka Umada

The University of Tokyo, Ex-Microsoft, Visual Studio; “Nur das Leben ist glücklich, welches auf die Annehmlichkeiten der Welt verzichten kann.” — Wittgenstein