理性の帰還: Factfulness の翻訳の発売によせて
Factfulness が翻訳されて、日経BP社から献本を受けました。おすすめなのでぜひ買って読んでみて下さい。
『幸福論』などで有名なアランは「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである」と言ったそうですが、本書 Factfulness では、楽観主義を意思として持ち続けるために有効なデータと、なぜ私たちの認識が”本能的に”偏ってしまうのかを丁寧に解説してくれています。たった 2,000 円弱とわずかな読書時間で、多くの人が知らない事実(ファクト)を知ることができ、そしてそのファクトから希望をもらえる読書体験を得られるはずです。おすすめです。
理性の帰還(を望む声)
さて近頃、共感や直観、本能といったものを重視するのではなく、改めて理性を重視する動きが徐々に出てきているように感じています(『進歩』の山形氏の解説なども参照)。たとえば:
- 理性に基づく人間のこの数十年の進歩について(Steven Pinker の Enlightenment Now や Johan Norberg の『進歩』、Gregg Easterbrook の It’s Better Than It Looks など)
- エビデンスに基づく医療や政策、教育(たとえば教育は John Hattie の『教育の効果: メタ分析による学力に影響を与える要因の効果の可視化』など)
- 効果的な利他主義 (Effective Altruism) による、理性に基づく慈善活動の推進(『あなたが世界のためにできる たったひとつのこと』や『〈効果的な利他主義〉宣言! 』など)
- Paul Bloomの『反共感論』での、理性に基づく道徳論について
- Matt Ridley の『繁栄』などの、合理的な楽観主義者について
- 啓蒙思想の振り返りとアップデート(Joseph Heath の『啓蒙思想 2.0』や Anthony Pagden の The Enlightenment など)
啓蒙思想が出てきたころは、人間の人間たる部分である『人間性』が何かと言えば「理性」が挙げられていたそうです。野生の動物と人間を隔てるものは、理性的に考えて行動できる部分でした。
しかし現在「人間性とは何か?」と聞くと、多くの人が感情や直観、不合理さなどを挙げるのではないでしょうか。代わりに理性を司るのは、機械やコンピュータになりつつあります。
機械と人間を隔てるものが、感情的な部分であると言いたくなる気持ちも分かります。しかしコンピュータを作り出したのも、Factfulness で挙げられているような社会の発展を促したのも、人間の理性的な部分の貢献が大きいのではないかと思っています。
カーネマンのファスト&スローが指摘するように、直観も理性もどちらも人間の一面であり、それぞれ有効な場面が異なります。ただ Factfulness でお勧めされているような動作、たとえばデータを見たり計算したり、ネガティブなニュースに引っ張られすぎないようにしたり、自分の思い込みを疑ってみたりする動作には、少しだけゆっくりと考えてみるスローな思考が必要です。そのスローな思考である理性を使うことが実は希望につながるという Factfulness が日本国内でより広く読まれることを通して、改めてこうした理性が重視されて、「いや、ちょっと待てよ、少し考えてみよう」と考える機会が私自身や、私の周りの人たちにも増えるようになってくるといいなと個人的に思っています。ということでぜひお勧めなので読んでみて下さい。