怒り駆動開発、怒り駆動プロジェクト

Taka Umada
4 min readFeb 28, 2017

学生の皆さんのプロジェクトを見ていたり、私自身の経験から言っても、個々人の怒りや苛立ちに根ざすプロジェクトは進みが早い印象があります。

「今はなぜそうなっているのか、おかしいじゃないか」といった、自分自身の怒りや苛立ちがモチベーションとなる開発を『怒り駆動開発 (anger-driven development)』と呼ぶこともあるようですが、まさに同じようなことを『小さなチーム、大きな仕事』等の著者であり Baseamp を創った Jason Fried も書いていて、未だに印象に残っています。

僕には、素晴らしい事業や重要なイノベーションの多くは、苛立ちや時に嫌悪から生まれているように見える。Uberの共同ファウンダーであるTravis KalanickやGarrett Campは、移動手段や物流が好きでライドシェアリングサービスを始めたわけではない。それを始めたのは、タクシーがつかまらないことに怒りを感じていたからだ。

…(中略)

普段から起業家と頻繁に話をするが、こうした企業の多くも似たようなことを機に誕生している。ファウンダーが、まだ存在しないものを自ら欲しいと思ったから、または従来のやり方を改善できる機会に恵まれたから。

そのストーリーにおいて、対象への好意や愛は必ずしも重要ではない。むしろ、既存の選択肢への嫌悪と、本来あるべき姿に対する譲れない意見のほうが、その先の成功を予測する確かな要素ではないかと思う。(Jason Fried, 『人は「好き」を仕事にするべきか?』、太字は引用者)

怒りや苛立ちの対象は、社会システム(たとえば貧困や政治、教育)のような大きなものから、ほとんどの人は気にしない小さなものまで様々です。その中でもスタートアップやプロジェクトに最適なのは、いずれ大きな社会システムの課題解決につながるかもしれない、今はまだ小さなもの、が良いのかなと思っていて、たとえば今支援しているプロジェクトの中では、

  • 鰹節削りの現状に対する怒り
  • 複数の CAD ソフトを交互に使わなければいけない苛立ち

といったものがあり、両者ともにプロジェクトの進みが早い印象です。

こうした怒りや苛立ちはまだ他人との交換が難しく、ある種のカルト的な怒りにならざるをえないと思いますし、進みが早いからといってそのプロジェクトが成功するとは限らないのですが(つまり正しい怒りかどうかは分からないのですが)、怒りや苛立ちといった、ある意味後ろ向きのモチベーションが功を奏することもあるんじゃないかと思います。

また「なぜこうあるべきなのに、今はそうじゃないんだろう」という疑問や怒りは、Paul Buchheit の『未来に生きて、欠けているものを作れ (Live in the future, then build what’s missing.)』にもつながるものなのかなと。

何かのサイドプロジェクトをやろうとしたとき、皆が取り組む流行の課題に対して小奇麗な解決策を提供するような「デザイン」を作りがちです。もちろんそれもそれでいいのですが、その一方で、個々人が密かに持つ、現状に対する些細な怒りを引き出すことをもう少し推奨しても良いのかなと思った次第です。

穏やかな夜に身を任せるな。老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に。怒れ、怒れ、消えゆく光に。(Dylan Thomas, 映画『インターステラー』での訳)

Interstellar

--

--

Taka Umada

The University of Tokyo, Ex-Microsoft, Visual Studio; “Nur das Leben ist glücklich, welches auf die Annehmlichkeiten der Welt verzichten kann.” — Wittgenstein