産業とスタートアップ

スタートアップのソフトウェアは世界を飲み込めるのか

Taka Umada
11 min readMar 21, 2016

Marc Andreessen による Software is eating the world という言葉は、様々な産業がソフトウェアによって変化させられるという予言でした。その言葉を補強するように、IT については今まさに deployment phase を迎えているという論があり、ヘルスケアや農業といった、少しテクノロジーから離れていた業界でソフトウェアが今後入り込んでいくのではないか、という意見を特に SaaS の文脈でよく聞くようになりました。

実際に US でもそうした傾向は見えますし、Stanford Graduate School of Business でも Box の CEO である Aaron Levie による「産業人のジレンマ」というレクチャーシリーズが 2016 年の冬学期に行われています。

そうした流れの中で、一部の投資家から「この業界で起業したらいい」というアドバイスを受け取るという話も聞きます。実際、「VC は良いアイデアを探しているのではなく、特定の産業の良いマネージャーを探している」と言われたことがあるぐらい、アイデアそのものではなく伸びる産業に賭ける面があります。

ただ仮に「ソフトウェアが産業を変える」ということが正しいとしても、「”スタートアップの”ソフトウェアが産業を変える」というふうに、スタートアップのソフトウェアという限定が入ると、それが正しいとは限らないなと、特に一部の産業に特化したスタートアップを既に始めている方々の話を聞いてると思います。

特定産業向けスタートアップの難しさ

たとえば FinTech や Real Estate Tech の難しさについては以下のような記事が最近話題になりました。

私が周囲の話を聞く中でも、バーティカルのスタートアップにはいくつかの難しさがあるなと感じてています。特に以下の 3 つでしょうか。

  1. タイミングの問題
  2. 市場規模と Exit の問題
  3. 既存プレイヤーの問題

それぞれについて簡単に説明します。

1. タイミングの問題

これから様々な産業でソフトウェアが使われると思います。しかしこれまでテクノロジーが十分に入ってなかった領域にはそれ相応の理由があるはずです。だからこそ、なぜ今ならその理由をクリアできるのか (why now)、という問いに答えられる必要があります。特に産業系のスタートアップで重要になるのは以下の3つでしょうか。

  • 規制や法律改正の状況はどうか
  • 各産業のこれまでの IT の導入実績はどうか
  • ユーザーの IT への習熟度合いはどうか

これらはある意味当然のことです。そしてもちろんそれらを考えた上で参入したものの、しかし思っていたよりもハードだった、という話をよく聞きます。

たとえば米国でヘルスケア系のスタートアップが伸びたのも、オバマケアを始めとした法改正の影響が大きかった、と言われることがあります。Zeneifts などの HR 系サービスの躍進も、たとえば 50 人以上の中小企業で健康保険加入の義務付けにいち早く気づいたことがきっかけだったと言われています(面白いことに、YC の同じバッチのなかで Zenefits が特に目立っていた、というわけではなかったそうです — そして皆がその重要性に気づく頃には Zenefits が一歩先に行っていました)。

日本のスタートアップの多くは米国で成功したモデルのタイムマシン経営だと言われることがありますが、こうした法規制の部分を考えると、単純に米国で成功しているモデルを持ってくれば良いのかというと、そうではない部分が大きいというのも産業向けスタートアップにとって難しい部分となります。

2. 市場規模と Exit の問題

またいわゆる産業別のバーティカルなマーケットを攻めると、どうしても市場規模の上限がある程度見えてしまいます。市場全体が急激に伸びていれば別ですが、そうでない場合にはソフトウェアで効率化することで市場規模の全体が小さくなってしまうことすらありえます。

大企業は既存事業とのシナジーなどの題目で新しい産業に参入できますが、一方スタートアップは資源が限られているため通常多角化が難しく、どうしてもひとつの産業のマーケットに依存しがちです。

そうした市場規模の問題をクリアするために、もちろん海外のマーケットを狙えば良いという話もあります。ただバーティカルな領域はその国特有の事情や規制が絡みます。そしてただでさえ自国の業界人ネットワークに入り込むのが難しいのに海外ともなるとさらに難しく、結果的に世界展開のハードルは高くなりがちです。国や業界によっては学歴や人種などでの見えないフィルタリングがあることもままあると聞きます。

実際、US で成功している産業系のスタートアップが日本になかなか入ってきていない、というのがある種その障壁を示しているのではないかなと思います。

そうしたことを考えると、短期間に Exit する、というゴールに対して大きな壁が見えてきます。であれば、VC から資金調達をして Exit をする、というこれまでのスタートアップのモデルが果たして産業特化型のスタートアップにとって有効なモデルなのか、という疑問が浮かびます。

3. 既存プレイヤーの問題

スタートアップの多くは若者が始めます。そして業界のことをよく知らない若者が業界の構造を変えようとすると、その業界に長くいる人達から反発を受けるという話をよく聞きます。特に威勢よく「既存の産業を破壊する」と言ったときの反応は、冷笑かもしくは怒りのような反応を受けると聞きます。

またスタートアップのような小資本、低信頼のところがその産業の大きな問題(お金を払ってもらえる問題)を解決できるか、というと、必ずしもそうではない場合があります。たとえば 2000 年代、日本のお金の扱いを Suica などを使って大きく変化させたのは JR などの大手の企業であり、スタートアップではありませんでした。

そうしたことを考えると、もしかするとスタートアップとしてやるよりも、産業に入り込んでいる大企業で同じ事業をやったほうが早いかもしれません。

ではどうすればいいのか

もちろんだからといって産業特化型のスタートアップが必ず失敗するか、というとそうではないと思います。大きく 3 つのパターンがあるのかなと思っています。

  1. コアとなる資源の横展開
  2. 新しい価値を生み出す
  3. おもちゃのようなものから始める

1. コアとなる資源の横展開

特定の産業で培ったコアとなる技術や資源を他の業界に展開していくことで市場規模を徐々に大きくしていく、ということは(今のところは)可能そうです。たとえば Uber はまさにそのモデルで、既存のテクノロジとプレイヤーを使ってタクシー業界だけではなく宅配やその他の業界に切り込もうとしています。もちろん異なる業界には異なる障壁があり、そう簡単にいくわけではなく、Uber も試行錯誤しながら次々に新しい試みを打ち出しています。

Uber はうまく Come for the tool, stay for the network を実行しているのではないかと思います。

2. 新しい価値を生み出す

ソフトウェアを導入する主な目的として、特に日本は他国に比べて効率化やオートメーション、コスト削減といったところに意識が向きがちです。

ただ単純にそれだけではマーケットは通常縮小することが予測されます。だからスタートアップ的には、IT やテクノロジによって新しい価値を生み出すことが主眼に置かれるべきであると考えます。そしてその産業全体のマーケットを広げていったり、全く新しい市場を作り出すということが重要ではないでしょうか。(そうした文脈で、IT 化してデータを使って新しい価値を提供する、という形がよく提案されまが、意外とデータがキーではないのかもしれないと感じることも多々あります)。

とはいえ、もちろん最初から新しい価値がそう簡単に見つかるはずはありません。旅行業界を disrupt した Airbnb は世界中どこでも居場所をという価値を見つけましたが、最初は「ホテルに泊まるより安い」を売りにしていました。Y Combinator はアクセラレーターというモデルを作り上げましたが、エンジェル投資を学ぶために始められました。

3. おもちゃのようなものからはじめる

だからこそ、大きな変化をもたらす産業系スタートアップも最初は「おもちゃのようなもの」から始めるべきではないかと思います。業界人の誰からも笑われず、誰からも怒られることがなく、取るに足らないものとして無視されるようなものです。しかし一部のユーザーには極度に好まれ、Uber のように静かに広がりながら徐々に業界を侵食していくようなものから始めることが、本当に産業を破壊するような変化をもたらすものではないかと思います。

Uber 以外にもこうした例はあります。たとえばメインフレームが盛り上がっていたころ、PC はおもちゃのようなものだと思われていました。しかし次第にその性能が上がるにつれて、メインフレームの用途を奪っていきました。そして奪っていくどころかその市場規模を個人にまで広げ、新しい価値を提供していき、IBM の創業者をもって「世界には 5 台のコンピュータしか要らない」と言われていたコンピュータは今や PC で十億台のマーケットになっています。

さらに PC のユーザーからおもちゃのようなものだと思われていたモバイルコンピュータは、今や PC の用途の一部を奪い、さらに市場規模を広げて今や 50 億台のマーケットになりつつあります。

Uber もきっと出てきた時はタクシー業界を破壊するものだとは考えられなかったでしょう。5 年前のタクシーの業界人にそう言っても鼻で笑われるはずです。

業界特化だからこそ Founder/Market Fit: どんな困難にあってもその業界を変えたいという人

最初は無視されるような、おもちゃのようなものでも、大きくなっていくにつれて次第に規制との闘いや既存のプレイヤーとの闘いは不可避的に始まります。そうした困難が見えている産業系のスタートアップを始める人は、結局最後はその業界にどこまで思い入れがあるかどうかで、困難を前に踏ん張れるかどうかが決まってくるのではないでしょうか。

その意味で、いわゆる Founder/Market Fit をより深く考えることが産業系スタートアップを始める前に特に重要ではないかと思います。

投資家の言葉に左右されず、是非自分の好きな業界を選択してスタートアップをはじめてほしいと、個人的には強く願います。

Photo credit: Scott Beale via Visualhunt.com / CC BY-NC-ND

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Taka Umada

The University of Tokyo, Ex-Microsoft, Visual Studio; “Nur das Leben ist glücklich, welches auf die Annehmlichkeiten der Welt verzichten kann.” — Wittgenstein