アンチ・リーンスタートアップという選択肢

Taka Umada
8 min readJan 17, 2017

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40 億円以上の資金調達をした、AI パーソナルアシスタントを開発するx.ai が、自分たちは技術的な挑戦があり長期の開発が必要な「アンチリーン」なスタートアップである、という記事を出しています。

彼らはリーンスタートアップ的な方法論が、AI のような研究開発を必要とするスタートアップには不向きだと主張して、スタートアップの領域を、

  • リーンスタートアップ
  • アンチリーンスタートアップ(AI やセキュリティなど)
  • ムーンショット(SpaceX や 23andMe など、1960年代の月面着陸ほど難しく、何が可能かを再定義するような事業)

と 3 つに分け、アンチリーンなスタートアップは、リーンとムーンショットの両極端の中間であり、三ヶ月のアクセラレーター期間中では解決できないような、長期的な戦略に根ざした製品開発が必要だと主張しています。

https://x.ai/why-anti-lean-startups-are-back/

同様に、リーンスタートアップの方法論への批判は近年いくつか指摘されています。

たとえば典型的なムーンショット狙いの投資家 Peter Thiel は、著書 Zero to One の中でリーンスタートアップを批判しており、「リーンであることは手段であって目的じゃない。目の前のニーズには完璧に応えられても、それではグローバルな拡大は決して実現できない。大胆な計画のない単なる反復は、ゼロから1を生み出さない」と述べています(筆者要約)。

また昨年の Harvard Business Review の『リーンスタートアップ方法論の限界』という記事では、CleanTech のアクセラレータに入った 250 のスタートアップを調査したところ、リーンスタートアップのような仮説検証を繰り返すアプローチは一般的には効果的だったものの、それよりも強い戦略を持つことのほうがより重要だったと指摘しています。

アンチ・リーンスタートアップの背景

この十年、スタートアップ業界を席巻した Web やモバイルアプリでは確かにリーンスタートアップ的なメソッドが有効に機能したように思います。それに今後国内でも伸びると目されている B2B の SaaS スタートアップにも、恐らくリーンスタートアップのアプローチは有効でしょう。

しかし一方、x.ai がアンチリーンと呼ぶような研究開発が必要なスタートアップや、Y Combinator の Sam Altman が『ハードテックスタートアップ』と呼ぶような、「そのテクノロジが実現できるかどうか疑問符がつく、ハードなテクノロジを持つスタートアップ」では、リーンスタートアップ的なアプローチがそのまま使えるとは限らないのかもしれません。

たとえばこれらのスタートアップではリーンスタートアップで有名な Build — Measure — Learn ループ (BML ループ) のでいえば、Build ができるかどうか分からない、ということになるでしょうか。

一方、スマホアプリ等は Build 自体が不可能ではない、という前提であり、そのため BML ループを素早く回して、何度も仮説検証することができました。

Build — Measure — Learn ループ

もしくは、開発作業自体は仮説検証を行うとしても顧客を巻き込んだ仮説検証や BML ループが回しにくい、あるいは、MVP でいえば Minimum Viable になるまでが長い時間を要する、というのもアンチリーンなスタートアップの特長、とも言えそうです。

昨今、「アプリのゴールドラッシュは終わった」と言われています。確かにモバイルアプリのような、リーンスタートアップの方法論がそのまま適用できる領域ではもうスタートアップは勝ち上がれないのかもしれません。

逆に言えば、そうした既存の領域でスタートアップすることが市場から求められていない、ということも言えそうです(※新興国は除いて)。個人的には、リーンスタートアップはデジタルシフトを狙う大企業でこそこれから重要になっていくように思います。

アンチ・リーンの拡大 = スタートアップの対象となる事業領域の拡大

こうした状況を逆に観てみれば、それはスタートアップに求められていることが変わりつつあり、かつスタートアップができる事業の領域が広がってきている、ということのようにも映ります。

実際 US では「ドットコムバブル以来」とも言われる巨額のお金が VC に集まっており、幸い日本でも VC に集まっているお金は日本でも年々増えています。その分、そのお金の運用者たる VC や、VC の投資先のスタートアップには、大きなビジネスを作ることを期待されています。

それは、かつては小資本で始められる事業しかスタートアップができなかったのに、今の状況は色々なことにスタートアップでも挑戦できる時代になってきている、ということでもあります。AI だけではなく、VR/AR やハードウェアが関わる領域、研究開発関係のスタートアップ等、我々はリーンスタートアップが有効な領域でのスタートアップもできれば、一方でアンチ・リーンなスタートアップもできる、という選択肢を手に入れつつある、というふうにも言えそうです。

アンチ・リーンやハードテックでのリーンスタートアップ方法論の応用

とはいえ、そうしたアンチリーンやハードテックといった新しい領域に挑む際に、リーンスタートアップのアプローチそのものを棄てて前時代に戻れ、と言っているわけではありません。

AI のような比較的長い開発期間が必要なものであっても、うかうかしていると市場の状況は様変わりしてしまいます。Google や Facebook といった、優秀な人材を擁する企業が資源を投下して一気にその領域を独占することは十分にありえます。それにハードウェアを扱う企業でも、かつてに比べれば少人数で素早い検証を実現できる環境が整いつつあります。

リーンが「無駄のない」という意味なら、スタートアップは常にリーンである必要がある、というのに間違いはありません。その点で、リーンスタートアップのメソッドや顧客開発の考え方の一部はまだまだ利用可能なのではないかと感じています。それにハードウェアも最近はサービスと統合しなければ価値を生み出せないので、サービス側の開発自体にはリーンスタートアップ的な方法論が適用できるはずです。

だから単にリーンスタートアップの方法論を棄てるのではなく、顧客開発の方法や小さなチャンクに分けて検証していくことなど、昨今のスタートアップのノウハウの中でも使えるノウハウは残しつつ、様々な戦略や方法を新しく模索する必要のある時代になったとも言えそうです。Y Combinator は少なくともそうした次の領域に向けて、これまでのスタートアップの方法論をうまく活用しようとしているように見えます。

時代が変われば事業も変わり、事業が変われば最適な方法も変わる、ということだけなのかもしれません。ただ様々な過去の失敗や成功の経験から、スタートアップ業界にノウハウが溜まりつつあるのは事実だと思うので、それをうまく活かしつつ、次なるイノベーションを探索していけるような環境を整えていければと思っています。

なお個人的なことを言えば、2015 年にはリーンスタートアップの訳者やリーンスタートアップを実践する皆さんに集まっていただいて、河合さんと一緒にイベントを主催したぐらいにリーンスタートアップの考え方は好きです。できれば、この次の考え方の地平が観てみたいなと思っています。

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Taka Umada

The University of Tokyo, Ex-Microsoft, Visual Studio; “Nur das Leben ist glücklich, welches auf die Annehmlichkeiten der Welt verzichten kann.” — Wittgenstein